お礼ありがとうございます。
統計を使っている人は沢山いますが、この定理を分かった上で使っている人は少ないと思います。この定理の結論だけを信じて、利用していきます。
ですから社交辞令ならともかく、こんなことで「悔しい思いをする」のは世間認識のnが小さいと思います。数学の公式と同じで、分かったところで、結局どの程度の報酬があるかを悟るべきでしょう。私はろくに分かっていないことを本質的にあてにしません。ですから中心極限定理もそうです(笑)そうして拡大解釈を防げるのだと思います。
自己責任を越える判断に関しては、勘という訳にもいかないので、論理の正装(数学)を着用をしている作業です。ですから疑問を残したまま、逆にネクタイを締めた紳士(統計学・数学)を権威にしない方がいいと思います。悔しいどころか簡単に納得しないというその姿勢の方が、最終的に、正しいと感じます。
中心極限定理『母集団のxが、平均μ、標準偏差σのある分布にしたがう時、大きさnの無作為標本に基づく標本平均は、nが無限大に大きくなる時、平均μ、標準偏差σ/√nの正規分布に近づく』
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統計を使うくらいですから、その時、母集団の平均や標準偏差の値は分かりません。実測値に基づく数値としては、標本の標本平均や標本標準偏差が得られるのみです。母集団の一部を調べて(標本抽出)、その標本の平均を母集団の平均にしてもよさそうなのは感覚的に許せても、信用がないので、定理が必要になります。この定理を信じて、この定理を使って行こうというものです。
正規分布は母集団の話ではなく、標本平均の分布の話です。標本の数の問題ではありません。標本平均の分布は最初からそうなると言っているのです。標本抽出して値を求めなくても、その作業をすれば、そうなると言っているのです。
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この定理は母集団の未知の平均と未知の標準偏差によって、標本分布の正規分布を作れるというものです。その関係を逆に利用して、標本の平均や標本の標準偏差しか分かっていない通常の認識状態から、母集団の平均を表現しようとします。この定理によって、母集団の平均値に、標本平均の平均値は近づくと定められています。母集団の平均=標本平均+(標本平均と母集団の平均の誤差)で表現できます。この誤差の部分もこの定理により、σ/√nと正規分布の性質(形)で表現できます。95%のとき、1.96(σ/√n)というのは、(σ/√n)の正規分布において、平均値から上下に標準偏差(σ/√n)の1.96倍の範囲が全体の95%になるという正� �分布の性質を利用しています。たまたま一回抽出した標本の平均値に、1.96(σ/√n)の誤差をつければ、95%の確率で母集団の平均と一致するものがあるということです。
標本平均-1.96(σ/√n) < μ <標本平均+1.96(σ/√n)
この関係が言えます。ここまでが中心極限定理のお蔭様です。
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しかし母集団の標準偏差σが未知ですので、肝心かなめの(σ/√n)も未知です。中心極限定理はそこまで定めてくれません。この定理とは別に、(統計学の経験則?により)肝心の(σ/√n)を、標本内から得た標準偏差の値sを使って(s/√n)にします。標本の大きさnが小さいと雑なことになります。十分に大きい(n=100ぐらいでしょうか)にしないと(n>25で)正規分布すると言えるにしても誤差(信頼区間)があてになりません。つまり平均値の評価がイイ加減になります。
素人の個人的感想ですが、目的である母集団の平均値を標本平均から得ることの全責任を中心極限定理におっ被せているような雰囲気がぬぐえません。とどのつまり、無作為の標本 抽出で、母集団の平均値を、反映してくれる理想的なサンプルを得られないことにはどうにもならないような気がします。
例示されたようにn=15など標本の大きさが小さい時は正規分布ではなくそれに似た感じのt分布になりますし、これは母集団が正規分布していることが条件になると思います。nが小さい時はσの代用になるsが(経験的に?)あてにならないからです。いずれにしてもどこかに正規分布が絡んでくれないことには、これらの推定作業はできないようです。
以上、間違い等あると思いますので、不正確な内容として、標本抽出や近似や推定に章を割いているような教科書を今一度見直されてください。
投稿日時 - 2011-09-17 01:07:39
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